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主に映画にまつわる覚書

『男性・女性』(1966)から50年後のジャン=ピエール・レオとシャンタル・ゴヤの再会

 フランスのナントゥ(Nantes)で社会派映画月刊誌『ソフィルム(Sofilm)』主催の第一回ソフィルム・サマーキャンプが2015年7月8日から12日まで開催されています。

sofilm-festival.fr

 『ソフィルム』は2012年に、映画批評家、映画製作・配給者で、映画製作会社、映画関連出版社カプリッチ(Capricci)の創設者のひとりでもあるティエリー・ルナス(Thierry Lounas, 1971-)が、社会派サッカー月刊誌『ソ・フットゥ(So Foot)』を2003年3月号から創刊した、フランク・アネス(Franck Annese, 1977-)の出版社ソ・プレス(So Press)と共に創刊し、キヨスクで売られています。

 ルナスは映画祭を映画批評の延長の実践と考えています。彼は2012年2月に来日し、東京日仏学院で2月3日から26日まで、特集上映「カプリッチ・フィルムズ ベスト・セレクション」が催されました。

 ナントの地方日刊紙『プレス・オセアン(Presse Océan)』の取材に対し、ルナスは、映画祭を立ち上げた理由をこう述べています。

 私は現代の映画雑誌は映画作品について語るだけで満足するのではなく、映画作品を見せ、人びとを出会わせるべきだと信じています。『ソフィルム』はひとつの宴会です。この「ソフィルム・サマーキャンプ」と名づけられた映画祭は、思いこみにとらわれない映画愛好(シネフィリー)と共に、その延長であることが理想です。

  

 

www.presseocean.fr

 

 映画祭の名誉会長はジャン=ピエール・レオ(Jean-Pierre Léaud, 1944-)です。シャンタル・ゴヤ(Chantal Goya, 1942-)は白紙委任(特別上映作品の独断による選定)で『ラビ・ヤーコフの冒険』Les aventures de Rabbi Jacob(1973。日本語題名題『ニューヨーク←→パリ大冒険』)の9日16時30分からの映画館ゴモン(Gaumont)での上映に立ち会いました。
 7月9日21時15分から、レオとゴヤは、50年前に共演した、ジャン=リュック・ゴダールJean-Luc Godard, 1930-)監督の『男性・女性』Masculin féminin(1966)の映画館カトルザ(Katorza)での上映に立ち会いました。

 

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  (ジャン=ジャック・ドゥブJean-Jacques Debout撮影のレオとゴヤ

 

www.gala.fr

 

 キヨスクで売られる大衆向け週刊誌『ギャラ(Gala)』2015年7月9日のジュヌヴィエーヴ・クルー(Geneviève Cloup)の記事を引用します。

 シャンタル・ゴヤは1965年に『男性・女性』の配役に加わったとき、一度も映画に出たことはなく、すでにジャン=ジャック・ドゥブと結婚していて[正式結婚は映画撮影後の1966年2月25日]、家庭的な小柄な女性で、パリ郊外ジャン=シュル・マルヌの地所で料理やガーデニングに熱中していた。「ダニエル・フィリパキ(Daniel Fili­pac­chi)(アシェットゥ・フィリパキ出版グループの総帥)」は私に「セ・ビアン・ベルナール(ベルナールは人気者)」C’est bien Bernardという歌[作詞・作曲はドゥブ。発売は1964年11月(RCA Victor – 86.074 M)]を録音させていました。ある日[1964年12月5日]、私はバラエティー番組『ラン河での出会い(Rendez-vous sur le Rhin)』に出演します。翌日[実際には1年近く後のことだろうか]、ダニエルが私に電話してきて、「ジャン=リュック・ゴダールが君を観た。君を新作に出したがってる!」と言うんです。シャンゼリゼ劇場のカフェ[「バール・デ・テアトゥル」]のテラスで会うことになります。私はそこに行きます[1965年11月7日と思われる]。ある男の人が何度も通り過ぎ、遠くから私を観察し、私かどうか疑っていましたが、やがて、近づいてきてこう言います。「あなたがシャンタル・ゴヤさんですか? あなたにぜひ出てほしいんです!」。その翌日、当時ゴダールの助監督だったクロードゥ・ミレール(Claude Miller)が私を呼びに来ました。メイクも台本も何もありませんでした。ジャン=ピエールはゴダールがどうしたいのかわかっていたけれど、マルレヌ・ジョベール(Marlène Jobert)と私はまったくわからなかった!」。妊娠四か月(とはいえ、そうは見えなかった)ということをシャンタルは黙っている[後に画家となる長男ジャン=ポールの出産は1966年6月19日]。イターリア[1966年10月のソレント映画祭]でモニカ・ヴィッティ(Monica Vitti)の手から演技賞を受け取ることになる彼女は、場当たり的にはぐらかし、何も言わず、普段の生活通り、『男性・女性』を撮影する[撮影が始まったのは1965年11月22日]。当時は軽薄だ。彼女もだ。この映画は一か月で作られる。

 

 

 「ふたつだけやりたくないことがありました。ヌードになることと、男の子と抱き合うことでした」とシャンタル・ゴヤは語る。「でもゴダールは言いました。『それじゃ君はスター女優(ヴェデットゥ)になれないよ!』。私は言い返しました。『別にいいです。もう家に一台ありますから。ヴェデットゥ[洗濯機のメーカー]の洗濯機なら!』。彼は私が完全にイカれていると思っていましたが、私のことを面白がっていました」。結局、撮影機の前で裸になる場面では、たとえすりガラス越しであっても、シャンタルはビデの背後に隠れ、マルレヌ・ジョベールに代役を頼んだ。そして彼女がジャン=ピエールとベッドを共にする場面では、「できるだけ彼から離れようとしていました。彼に触られるのもいやだったんです! 私は決して無垢ではありませんでしたが、品位にはこだわりがありました。そういうふうに育ったんです。だから、ちょっと想像してみていただけますか。私がメトゥロの至る所に貼られたポスターの宣伝を見たときのことを。こう書いてありました。『この恐るべき若いフランス娘たちはあなたの娘さんたちですか?』」。

  

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     レオーは10日14時から、『男性・女性』で映画デビューした新人女優キャトリヌ=イザベル・デュポール(Catherine-Isabelle Duport)と再共演し、『男性・女性』の撮影監督ウィリー・キュラン(Willy Kurant, 1934-)が撮影監督を務めた、イエジー・スコリモフスキ(Jerzy Skolimowski, 1938-)監督のベルズィック映画『出発』Le départ(1967)の映画館コンコルドゥ(Concorde)での上映に立ち会いました。

 

出発 [DVD]

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www.lemonde.fr

 7月11日付けの『世間(Le Monde)』によると、レオは、アルベルト・セラ(Albert Serra, 1975-)の新作で太陽王ルイ十四世(Louis XIV, 1638-1715)の最後の2週間を演じます。[付記]オトゥフォール(Hautefort)のシャトで9月23日から10月10日まで撮影。

 セラもソフィルム・サマーキャンプに参加し、イヴァン・パセル(Ivan Passer, 1933-2020)の『カッターの道』Cutter's Way(1981)(日本衛星放送(JSBWOWOWの旧社名)で『男の傷』の邦題で放映)の9日14時30分からのキャトルザ(Katorza)での上映に立ち会っています。

 セラの新作は、歴史学者エルンストゥ・カントロヴィチ(Ernst Kantorowicz, 1895-1963)による政治思想史の研究書『王の二つの身体:中世政治神学研究』The King's Two Bodies: A Study in Mediaeval Political Theology(1957)に着想を得たものです。カントロヴィチによれば、ヨーロッパの王は自然的身体と政治的身体という二つの身体を持っています。自然的身体は死すべき身体で、偶然や不確実性、生物的な虚弱性の脅威に脅かされますが、政治的身体は見ることも触れることもできない身体です。

 1715年8月10日、マルリでの狩猟から戻ったルイ十四世は脚に激しい痛みを覚えました。王の主治医ファゴンは坐骨神経痛と診断しましたが、老年性の壊疽でした。激痛にもかかわらず、王は平然として日課に励みましたが、8月25日、寝たきりとなりました。翌日、壊疽は骨を侵しました。その日、王は、後にルイ十五世となる5歳の曾孫を呼び、忠告や助言を与えました。

 王は30日と31日に半昏睡状態に陥り、9月1日の朝に77歳を前に死去しました。遺体は8日間、ヴェルサイユ宮殿のメリクリウスの間に安置され、9日にサン=ドゥニ大聖堂に運ばれました。

 レオは夫人で、リセの哲学教師だったブリジットゥ・デュヴィヴィエ(Brigitte Duvivier)に助けられながら役作りをしているそうです。

   騎士ドン・キホーテ(Don Quixote)と従者サンチョ・パンサ(Sancho Panza)の旅を描く、セラの『騎士の名誉』Honor de cavalleria(2006)フランス語字幕版と、東方の三賢人の旅とクリストゥス生誕の祝福を描く『鳥の歌』El cant dels ocells(2008)英語字幕版は、日本では「カプリッチ・フィルムズ ベスト・セレクション」で上映されました。

 カサノヴァ(Casanova)がドゥラキュラ(Dracula)と出会う、セラの『私の死の物語』Història de la meva mort(2013)は第66回ロカルノ国際映画祭で最高賞の黄金レパードを受賞しています。

 レオは、セラの新作に出た後、若い頃からレオを敬愛するという諏訪敦彦(1960-)の新作に出るそうです。

 

 [付記] 2016年5月6日、『ルイ十四世の死』 La Mort De Louis XIVのティーザーが公開されました。同作は2016年5月19日にキャンヌ国際映画祭で公式上映されます。[付記]2020年1月12日、加筆・修正。

 

 LA MORT DE LOUIS XIV - TEASER on Vimeo

 

 The Death of Louis XIV, by Albert Serra (2016) | Capricci