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ゴダールの3D映画と三つのサイコロという隠喩 Godard's 3D Films and the Metaphor of the Three Dice

 三つのサイコロという隠喩 
 The Metaphor of Three Dice (trois dés)

 フランス語で「三つのサイコロ(トロワ・デ[trois dés])は「3D(トロワ・デ)」と同音です。ゴダールはアンヌ=マリ・ミエヴィル(Anne-Marie Miéville)と共同監督した教育用テレビ連続番組『フランス/周回/迂回/二人/子供たち』France/Tour/Detour/Deux/Enfants(1979)第11話「実在/論理(Réalité/Logique)」で、テーブルをはさんで向き合う二人の画面外の人物の手が交互にテーブル上で転がす三つのサイコロの大写しのショットを用いていました。
 『フランス/周回/迂回/二人/子供たち』はフランスのアンテヌ2(Antenne 2)制作で、各回26分、全12回です。放映に先立ち、1979年1月に、ゴダールとミエヴィル立会いのもと、ロッテルダム映画祭で上映され、同年4月、パリのレピュブリック広場近くにあった映画館アクシオン=レピュブリック(L'Action République)で映画批評誌『映画評論(キャイエ・デュ・シネマ[Cahiers du cinéma])』主催の「キャイエ週間(Semaine des Cahiers)」の枠組みで上映され、同年5月3日にポンピドゥ・センターで上映された後、1980年4月4日、11日、18日、25日、アンテヌ2の「シネ・クラブ’(Ciné Club)」の枠組みで3回ずつ四度に分けて放映されました。
 三つのサイコロの映像に重なる画面外の架空のテレビ報道番組の記者ベティ(Betty)に扮するベティ・ベール(Betty Berr)の語りの声は、生物学者フランソワ・ジャコブ(François Jacob)の『生きるものの論理:ある遺伝の物語』La Logique du vivant: une histoire de l’hérédité(1970。邦訳『生命の論理』(みすず書房、1977))の一節を、現代社会に順応した大人たちの隠喩「ある怪物(un monstre)」の記述として読み替えて引用し、人間の進化の偶然性をサイコロの隠喩で象徴していました。
 サイコロの隠喩は、詩人ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé)の七種類の活字を使って特殊な組版で視覚的に表現した長篇詩「サイコロのひと振りは、決して偶然を廃棄しないだろう(Un coup de dés jamais n'abolira le hasard)」(1897)を踏まえています。

 まず最初に引用される『生きるものの論理』の原文はこうです。

進化はもっぱら微小な出来事の連鎖、それぞれ偶然突発する突然変異にのみ基づき、そこにおいて時間と算術は対立する。あるルーレットから、それぞれ十万のタンパク質の連鎖からなる単位を一回ごとに引き出し、それが一体の哺乳動物を構成することができるためには、太陽系に割り当てられた持続時間をはるかに超える時間が必要だ。

Que l'évolution soit due exclusivement à une succession de micro-évènements, à des mutations survenant chacune au hasard, le temps et l'arithmétique s'y opposent. Pour extraire d'une roulette, coup par coup, sous-unité par sous-unité chacune des cent mille chaînes protéiques qui peuvent composer le corps d'un mammifère, il faut un temps qui excède et de loin, la durée allouée au système solaire.

  この箇所では「進化(l'évolution)」は「怪物たちにおける進化(l'évolution chez les monstres)」に、「あるルーレット(une roulette)」は「ある偶然(une hazard)」に、「ある哺乳動物(un mammifère)」は「ある怪物(un monstre)」に変えて引用されています。

 このくだりは、ゴダールの初の3D(トロワ・デ)映画『三つの災厄Les trois désastre(2014)に転用されています。 

 『三つの災厄』
 Les trois désastre / The Three Disasters 


 Les Trois Désastres - Jean-Luc Godard (2014) - YouTube

  『3×3D』は2012年に、毎年一年ずつひとつの都市が選ばれる、「文化ヨーロッパ首都(Capitale européenne de la culture)」に選ばれたポルトゥゲザのギマラインシュ市の委嘱でつくられた、三人の監督による三本の3D短篇映画を合わせたオムニバス映画です。
 『3×3D』はカンヌ国際映画祭で2013年5月23日に初上映され、その後各国の映画祭で巡回上映されています。ギマラインシュでは同年6月30日に公開されました。フランスでは映画祭「パリ・シネマ(Paris Cinéma)」で同年7月6日に上映され、2014年4月30日に商業公開されました。
    ゴダールの初の3D映画となった短篇『三つの災厄』は『3×3D』の第三話にあたります。
 「三つの災厄(レ・トロワ・デザストル)』Les trois désastreの題名は、「トロワ・デ(trois dés / 3D)」の音を含み、フランス語の「3D(三つのサイコロ)の星まわり(トロワ・デ・アストル[3D/trois dés  astres])」と同音に近いものです。
 「星まわり(デ・ザストル[des astres])」のはるかに遠い悪影響を受けるとされることから「災厄(デザストル[désastre])」と呼ばれる語は、おそらく連作ヴィデオ・エセー『(複数の)映画史(Histoire(s) du cinéma)』(日本語題名『ゴダールの映画史』)「2A:映画だけが」Seul le cinéma で女優ジュリ・デルピ(Julie Delpy)が画面外のささやき声で朗読するシャルル・ボドレール(Charles Baudelaire)の詩集『悪の花』Les Fleurs du mal(1857)の最後の「死」La mortの部門の末尾に収められた詩「旅」Le voyage第四節第一連を意識しているのでしょう。
 「2A:映画だけが」初期版は、「2B:命がけの美」Fatale beauté初期版と共に、1994年5月6日、ニューヨーク近代美術館MoMA)で、ゴダールの中篇映画『JLG/JLG』(1995。日本語題名『JLG/自画像』)の初期版『jlgによるjig』jlg par jlgと共に、それぞれ『(複数の)映画史』第四部、第三部として公開されました。 

   コラージュ的な『三つの災厄』は、それ自体、「災=厄(サイコロ=星まわり[dés-astres])1」、「災=厄(サイコロ=星まわり)2」、「災=厄(サイコロ=星まわり)3」から構成されています。
 『三つの災厄』の三つの各「災=厄」の冒頭で、『フランス/周回/迂回/二人/子供たち』(1979)第11話「実在/論理」の三つのサイコロの映像が引用されます。
 さらに「災=厄2」では『フランス/周回/迂回/二人/子供たち』のいくつかの回の導入部に使われた映像、RCA TK-76 テレヴィジョン・キャメラのファインダーを覗く9歳の少女カミーユ・ヴィロロ(Camille Virolleaud)を別のキャメラで捉えた映像も引用されます。フランス/周回/迂回/二人/子供たち』では、回によっては、キャメラのファインダーを覗くのは、カミーユではなく、同じ9歳の男の子アルノ・マルタン(Arnaud Martin)の場合もあります。
 米国のRCAが製造し、1976年に販売されたRCA TK-76 テレヴィジョン・キャメラは、初の放送向けの画質を備えた初の軽量撮影機材で全世界で数千台売れたそうです。キャノンのTVマクロ・レンズを内蔵していました。
   『三つの災厄』では『(複数の)映画史』とその同時代のゴダールの映画作品の映像素材、音声素材、当時未公開だった新作3D長篇『言語にアデュー』Adieu au langage(2014。日本語題名『さらば、愛の言葉よ』)の映像抜粋、未使用テイクも転用されています。また、各国の各種の3D映画の抜粋が引用されています。 
 「災=厄2」には『言語にアデュー』の撮影機材、三脚の上の自家製木枠に固定された上下の向きがそれぞれ異なる二台のキャノンEOS 5D マークIIを横長の大きな鏡に映した映像、さらにその鏡と二台のEOS 5D マークIIを別のキャメラで撮った移動撮影の二重に亡霊的な映像が含まれるほか、『言語にアデュー』でも抜粋映像が引用される3D映画『ピラニア3D』Piranha 3D(2010)、3D映画『恐怖の夜』Fright Night(2011。日本語題名『フライトナイト/恐怖の夜の断片が引用されます。
 「災=厄3」の終わりには、『さらば、愛の言葉よ』の最後の方に出てくる18世紀初めのレマン湖畔で詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(Percy Bysshe Shelley)が風刺詩「ピーター・ベル三世(Peter Bell the Third)」を英語で暗誦する場面の抜粋が音声そのままで引用されます。 
 『三つの災厄』は自律した作品というよりも、ゴダールの映画による映画論、『(複数の)映画史』の補遺、ゴダールの作品体系の自注として観ると興味深いかもしれません。

 「災=厄2」 で『(複数の)映画史』「2A:映画だけが」のボドレール「旅」第四節第一連の音声が引用されるのは、米国の写真家リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)が1972年4月11日にベル・エアで撮った眼鏡をかけ左目に黒いアイパッチを着けた、78歳になる米国の映画監督ジョン・フォード(John Ford)のモノクロの肖像写真の大写しのショットからです。
 「災=厄2」では、『フェイクのF』F For Fake(1973。日本語題名『オーソン・ウェルズのフェイク』)撮影中、映画キャメラのファインダーを右目で覗きながら左目を閉じているオースン・ウェルズ(Orson Welles)のカラー写真の解像度の低いモノクロ複製の大写しも挿入されます。
 また、フォードの肖像の前には、タバコをくわえ、右目に黒いアイパッチを着けた、米国の映画監督ニコラス・レイ(Nicholas Ray)の1970年代の晩年の肖像写真の顔の部分が大写しにされるので、片目しか見えない映画監督の顔は3D映画の批判でしょう。 
 「旅」の引用箇所で「星(des astres)」と「災厄(désastres)」は脚韻を踏んでいます。 

私たちは見た。星を、
そして波を。私たちは見た。砂をも。
そして、数々の衝撃や思いがけぬ災厄にもかかわらず、
しばしば倦怠を覚えた。ここでと同じく。

Nous avons vu des astres
Et des flots, nous avons vu des sables aussi; 
Et, malgré bien des chocs et d'imprévus désastres, 
Nous nous sommes souvent ennuyés, comme ici. 

  「災=厄1」では、画面外のゴダールの声が、オースン・ウェルズのモノクロ映画『オセロ』Othello(1952)のウェルズ自身が演じるオセロ(ウェルズ)とデズデモーナ(Desdemona)の無音の動画抜粋の直後、数論理学の祖といわれるゴットローブ・フリーゲ(Gottlob Frege)の論理学に言及します。
 「フリーゲは、思考は、複数の数、というよりも二つの数から生じると主張する。彼はあらゆる思考は、サイコロひと振りの死刑[エシャフォ]だと考える。構成[エシャフォダージュ]、死刑[エシャフォ](Frege soutient que la pensée est né des nombres, ou plutôt deux nombres. Il pense que tout la pensée, échafaud d'un coup de dés. Echafaudage, échafaud)」。
 もちろん、フリーゲが考えたのは「数の構成(l'échafaudage des nombres)」です。フリーゲは思考は語句で表現可能で、それを表わす語は心理的表象ではないと主張しました。

 

 『言語にアデュー』
 Adieu au langage / Goodbye to Language 

 「隠喩(métaphore)」は「言語(langage)」にも「映像(image)」にも関連する語ですが、そもそも『言語にアデュー』Adieu au langageの題名に両義性があります。そこに含まれる「アデュー(adieu)」は標準的フランス語では「決別」を意味する名詞もしくは、永遠の別れを告げる間投詞ですが、この映画がつくられた土地、スイス・ロマンドのフランス語では、「こんにちは(bonjour)」、「さようなら(au revoir)」という日常的な挨拶で使われる語です。 「アデュー(adieu)」は「神へ(a dieu)」という意味も含んでいます。だから『言語にアデュー』の題名は「言語への決別」という意味に見せかけた言語へのひそかな挨拶とも解釈できます。
 『言語にアデュー』で「隠喩」の文字画面が出た直後に引用されるのは、その直前の低画質の既存動画抜粋と対照的に鮮明な画質の、ジャン・コクトーJean Cocteau)の中編小説(1929)に基づく、ジャン=ピエール・メルヴィル(Jean-Pierre Melville)のモノクロ映画『恐るべき子供たち』Les enfants terribles(1950)の結末近くの場面です。
 画面外の死につつある弟ポール(Paul)に向かってエリザベット(Elisabeth)が話しかけます。「なんとか最後までもたせないといけない。最後をもちこたえ、私は最後を生きなければ。それは簡単ではない(Il faut que j'arrive à tenir jusqu'à la fin. La fin traîne et je dois la vivre. Ce n'est pas commode)」。
 エリザベットの大写しの顔がキャメラを見つめる瞬間、ショットが切り替わり、ゴダールが撮ったらしい、小川のほとりのウェルシュ・シープドッグ、ロクシー(Roxy)のカラーのショット、さらに、キャメラのほうを見ながら右手を突き出し、大きく指を開いて見せる青い服の男のカラーのピンボケのショットに重ね、画面外の女性の声がサミュエル・ベケット(Samuel Beckett)の特異な散文『映像』L'image末尾の語句を語ります。この語句は、『(複数の)映画史』「1B:ただ一つの歴史」Une histoire seule冒頭では、本の最後の頁の映像として映し出されていました。 
 「渇きはない。舌がまた引っ込む。口がまた閉じる。現在は横一文字のはずだ。それはなされた。私は映像をつくった(plus soif la langue rentre dans la bouche se referme elle doit faire une ligne droite à présent c’est fait j’ai fait l’image )」。原文に句読点はありましたが、試訳には句読点を付けました。
    この語句は、ゴダール初のディジタル・ヴィデオによる長篇『映画社会主義』Film socialisme(2010。日本語題名『ゴダール・ソシアリスム』)第二楽章「どこへ行く、ヨーロッパ」Quo vadis Europaでは、マルタン・サービスステーション(Le garage Martin)を経営するマルタン家の長女長女フロリヌ(Florine)が修理工場内の机の前に立って暗唱します。

 『言語にアデュー』に戻ると、ベケットの引用の途中、黒地に赤文字の「ああ(OH)」と黒地に白文字の「言語(LANGAGE)」の文字が現れます。この二つの文字画面は「言語に(au langage)」と同音の「ああ、言語よ(Oh langage)」の意味でしょう。
 さらにあとになって黒地に赤文字の「AH」と白文字の「DIEU」を組み合わせた飛び出す文字画面も挿入されますが、それは「アデュー(Adieu)」と同音の「ああ、神よ(AH DIEU)」の意味でしょう。つまり『言語にアデュー』Adieu au langageの題名には「ああ、神よ、ああ、言語よ(Ah dieu, oh langage)」の意味が隠されていることが暗示されます。
 「言語」の文字画面の直後、夏休み中の雨の日、縁の大きな黒い帽子をかぶり、ベージュのトレンチコートを着て、レマン湖畔のベンチに座り、画集を見る哲学教授ダヴィッドソン(Davidson)を捉えたショットが現れます。
 ダヴィッドソンは、哲学者アラン・バディウ(Alain Badiou)の連作『諸情勢』Circonstancesの第六巻にあたる『歴史の覚醒』Le réveil de l'histoire(2011)の一節を語りながら、薬指に指輪のある左手でロシア生まれの画家ニコラ・ドゥ・スタール(Nicolas de Staël)の画集をめくります。
 そのしばらくあと、縁の大きな黒い帽子をかぶり、ベージュのトレンチコートを着たイヴィッチ(Ivitch)がダヴィッドソンに哲学的質問をします。そこに突然現われたイヴィッチの夫らしき男が彼女に拳銃を突きつけ、ドイツ語で罵ったあと、メルツィデス・ベンツのセダンで引き返します。
 左の画面外に目を向けたダヴィッドソンが「観念(une idée)」と「隠喩(une métaphore)」との違いを知りたがっているイヴィッチに「プラトーンは言っている。美は真実の華麗さだ。そこにひとつの観念がある。真実のひとつの隠喩だ(Platon déclare que la beauté est la splendeur de la vérité. Il y a une idée. Une métaphore de la vérité)」と答えた直後、彼女を促し、「見なさい。サイコロで遊ぶある子供を(Regardez, un enfant qui joue aux dés)」と言って立ち去り、見た方角とは反対側の右の画面外に消えます。残されたイヴィッチは左の画面外の子供たちを見つめます。
 その直後に映し出されるのは、舗道にクマのぬいぐるみを置いて向き合って座り、三つのサイコロを交互にころがして遊ぶ男の子ラファエル・アラーニョ(Rafael Aragno)と小さな女の子ジュリエット・アラーニョ(Juliette Aragno)です。二人は撮影監督ファブリス・アラーニョ(Fabrice Aragno)の子供だそうです。
 古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトス(Hērakleitos / Héraclite)は子供たちとサイコロ遊びをしたとの伝承があります。ヘラクレイトスの言葉とされる「時間はサイコロ遊びをする子供だ。王国はその子のものだ(Le temps est un enfant qui joue aux dés. À cet enfant appartient le royaume)」という表現があります。ニーチェは未完の『力への意志Wille zur Machtに含まれうるとされる断章でサイコロ遊びを無限の時間の反復の隠喩に用いています。

  ゴダールの映画作品あるいはヴィデオ作品における、三つのサイコロの記憶の系譜をたどってみました。ゴダールは、3D(トロワ・デ)という語からの連想で「三つのサイコロ(トロワ・デ)」を思い浮かべたのでしょうが、その思い浮かべた映像には、二人の子供の映像も含まれていたのでしょう。