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主に映画にまつわる覚書

『さらば、愛の言葉よ』隠喩解義2 The Explications of the Metaphors in Godard's "Goodbye to Language" (2)

 

 銃声の謎(ジョゼットゥの夫とイヴィッチの夫)

    The Mystery about the Sound of Gun Shots

 

  ところで蓮實氏は、「今回も遊覧船に乗ってきた人たちはどうやらあの街で、テーブルについて食事をしている。ところが、そこに銃声が響く」(p.87)、「元夫のものらしい銃声が響くのはわかるけれども、一度目は人気のないガス工場前の広場で、二度目は観光客たちが岸部のカフェで食事をしている最中です」(p.87)と述べています。 

 銃声についても検証してみましょう。

 銃声が最初に響くのは、9分32秒、冬、公共ホール「ガス工場」の塀の前の地面から斜めに傾けて撮られたショットにおいてです。
 ニットのキャップをかぶり、腰くらいまでの丈の茶色のコートを着て、ミニスカートをはき、マフラーを巻いたジョゼットゥは画面中心の椅子に座り、物思いに沈んでいます。
 画面右端に彼女の夫らしい紺の高級スーツを着た男がブルー系のS320の横でタバコを投げ捨てた直後、運転手に車の向きを変えさせるよう手で指示し、彼女に近づきます。画面右下には、ダヴィドゥソンの助手イザベル(Isabelle)の自転車が見えます。
 男は右手でジョゼットゥの襟首をつかんで立たせ、ドイツ語で彼女を罵ります。その瞬間、画面左の奥の塀の手前から新聞を読みながら歩くジェデオンが画面内に入ってきます。ジョゼットゥは夫らしき男に「どうでもいい(Ça m'est égal)」と言います。男は彼女にドイツ語で言いかえし、右手で彼女を突き飛ばします。
 男が車の向かった画面左に消えた直後、銃声が聞こえ、その方角に背を向け、うなだれて左手で椅子の背に触れていたジョゼットゥは一瞬飛び上がりますが、振り向こうとはしません。塀の手前のジェデオンは銃声に驚いて立ち止まり、振り向きます。
 画面右から、ダヴィドゥソンの教え子らしい長髪の男性、もう一人の女性、さらに二人の男性の計四人が画面を横切り、一斉に銃声のした方向に全速力で走っていきますが、その方角に背を向けたまた動かないジョゼットゥは 「どうでもいい(Ça m'est égal)」とつぶやきます。その直後、夫の乗ってきたS320が銃声のした方角から画面を横切り、元来た方向に消えていきます。
 それを離れたところから見ていたジェデオンは、右手に新聞をぶらさげながら、ゆっくりと、ジョゼットゥの座っていた椅子に近づき、左手で右の肘掛けに触れます。そこでショットが切り替わります。
 なにが起きたのかわかりませんが、たぶん、ジェデオンがジョゼットゥの存在を知るきっかけとなったのがこの場面なのでしょう。この時点で、ジェデオンはただの通りすがりの人物にすぎず、ジョゼットはまだジェデオンと面識がなかったように見えます。
 続く10分18秒からのショットでは、公共水道の枯葉の浮かぶ貯水槽で右手の薬指に指輪をはめた女性が両手を丹念に洗う、その両手だけが映し出され、画面外でジェデオンが「なんなりとご用命ください(Je suis à vos ordre)」と言うのが聞こえます。

  撮影風景の写真を見ると、この手は、直前のショットと同じ帽子をかぶったジョゼットゥ役の女優エロイーズ・ゴデの手です。その背後でジェデオン役のキャメル・アブデリ(Kamel Abdeli)が見守っています。

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   これはジョゼットゥとジェデオンが初めて出会う瞬間だと思われます。「隠喩解義1」で見たように、この同じ貯水槽の周囲でジェデオンが死ぬことになるのかもしれません。
 16分21秒、ジェデオンと同棲を始めたジョゼットゥは全裸で階段を降りながら、画面外のジェデオンに、彼と出会ったのはコンゴ民主共和国の首都キンシャサでだと言います。彼というのは夫のことだと思われます。同じ場面のジェデオンの台詞から、その夫は銀行で働いていることもわかります。
 35分31秒の車道を走る車のメーターのショットに重なる、これから一緒に暮らそうとしているマルキュスと話すイヴィッチの声も「キンシャサ」と発音します。彼女もキンシャサにいたということは、彼女の夫もキンシャサにいたということでしょう。
 ジョゼットゥの夫とイヴィッチの夫は同一人物なのか、それとも二つの異なる世界でたまたまほとんど同じ人物なのかわかりません。
 同じことはゴダールの愛犬だというウェルシュ・シープドッグのロクシーにもいえることですが、ロクシーの場合、さらに、この二組の男女の虚構の物語世界で虚構の犬の役を演じるだけでなく、ゴダールが日記風に撮った、現実の延長にある世界でただの自分自身として被写体になっているのかもしれません。
 二組の男女の生きる虚構世界での夫の人物設定については、39分04秒、ヴィデオ・モニターに、ボリス・バルネットゥ(Boris Barnet)の評議会社会主義公共体連合映画『青い青い海(Au bord de la mer bleue / У самого синего моря)』(1936)が映っている場面で、イヴィッチは夫の職業について画面外のマルキュスに「ああ、彼はイベントの企画をしてるの。ただの一個人(Ah, Il organise des événements. C'est juste un individu)」と説明します。これが事実だとすると、彼女の夫は、同じ俳優が演じていても、銀行に勤めるジョゼットゥの夫とは別人なのかもしれません。
   「ただの一個人(C'est juste un individu)」は、ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の初の長篇小説『むかつき(La Nausée)』(1938)の初版表紙に載ったエピグラフルイ=フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline)の『教会(L'église)』(1933)からの引用「集合的な重要性のない男の子、ただの一個人(C'est un garçon sans importance collective, c'est juste un individu)」の再引用です。
 ちなみに、ここはミニチュアの列車のレール上の台車に小型キャメラを設置して撮った超ローアングルの横移動撮影のショットです。
 2013年5月29日のこの場面の撮影については『ユリイカ』「ゴダール2015」に掲載された、ゴダールを待ちながら』(pp.92-95.)の抜粋訳で言及されています(pp.124-125.)。この日に撮影された別の場面については「隠喩解義3」で触れることにします。
 同翻訳の解説者、ゴダール研究者、堀潤之氏のブログ記事も貼っておきます。ブリュノが撮った札絵現場の写真を見ることができます。

 ゴダールの『さらば、愛の言葉よ』覚書(2) ゾエ・ブリュノーの撮影日誌 - les signes parmi nous

 

 二度目の銃声は12分34秒に聞こえます。それは雨の日のレマン湖畔の駐車場の場面の出来事です。
 雨傘をさして、湖畔のベンチに座るダヴィドゥソンが米国に留学する長髪の青年と彼の恋人マリと会話する音声の途中、12分26秒に突然、天地の反転した駐車場のショットが挿入されます。S320が駐車場に入ってきますが、ジョゼットゥの夫の乗っていた車とは車体の色が違い銀色系です。
 今度、車を降り、画面外の妻らしいイヴィッチをドイツ語で罵るのは、ジョゼットゥの夫らしい男を演じているのと同じ俳優ダニエル・ルートゥヴィヒ(Daniel Ludwig)です。男は上空に向けて脅しのように拳銃を発砲します。もしかするとジョゼットゥの夫も画面外で上空に向けて発砲したのかもしれません。
   実際、撮影場面の写真を見ると、その推測が裏づけられます。

 

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 12分34秒、銃声と同時に会話の音声が途切れ、レマン湖畔の岩の上にいたマガモが湖に向かって飛び立つ瞬間を捉えた、途中で色調を薄く変えられたショットが挿入されます。12分35秒、湖岸のベンチのダヴィドゥソンの斜めに傾いたショットに戻り、画面外の青年を追ってマリが右の画面外に駆け去ると同時に、画面左から白のレインコートのイヴィッチが画面に入り、薬指に指輪をした右手でダヴィドゥソンの薬指に指輪をした左手をつかみます。傾いていたフレームが修正され地面に平行の、空間の見通しやすい構図になります。
   14分11秒、ダヴィドゥソンの横に座ったイヴィッチが話しているショットに、イヴィッチが「現在とは珍獣(Le présent est un drôle d'animal)」と言った瞬間、突然画面右から彼女の夫らしい男が画面に入り、左手で彼女のコートの襟首をつかみ、彼女を立たせます。男と共に右の画面外に消えた彼女は「どうでもいい(Ça m'est égal)」と言います。
  「現在とは珍獣」はアイスランド映画批評家推理小説家アルナルドゥル・インドリザソン(Arnaldur Indriðason)のレイキャヴィク警察の犯罪捜査官アルレンドゥル(Erlendur)を主人公とする連作小説の第七冊目にあたる『奇妙な岸辺(Furðustrandir)』の2013年2月刊行のフランス語訳『奇妙な岸辺(Étranges rivages) 』の フルントゥ(Hrund)という女性がアルレンドゥルに言う言葉の引用です。
 世界的人気があるアルレンドゥル・シリーズは日本では「エーレンデュル警部シリーズ」として、第三作『湿地(Mýrin)』が2012年、第四作『緑衣の女(Grafarþögn)』が2013年に東京創元社から刊行されています。

 『さらば、愛の言葉よ』に戻ると、ここでも、イヴィッチがジョゼットゥを反復する登場人物だということが示唆されています。この直後の3D効果の奇矯さについては多くの論者が指摘しているので省きますが、男は彼女に拳銃を突き付けて、ドイツ語で「やってやろうか、このクソ売女め(Ich mach dich fertig, du Scheißnutte !)」と罵ります。彼女は動じず、左手で拳銃をもつ彼の右手をねじ伏せ、「どっちでもいい」と言います。
   彼女がベンチの前に戻ると、何事もなかったかのように画集を見ていたダヴィドゥソンは、13分22秒の雨に濡れた舗道のショットで彼女の提出した二番目の質問「どんな違いがありますか。ある観念とある隠喩のあいだに(Quelle différence il y a... entre une idée et une métaphore ?)」に答えます。「プラトーンは言っている。美は、真実の華麗さだ。そこにひとつの観念がある。真実のひとつの隠喩だ(Platon déclare que la beauté est la splendeur de la vérité. Il y a une idée. Une métaphore de la vérité)」。   

 三度目に銃声が響くのは、イヴィッチとマルキュスの不仲を暗示する場面に続く44分46秒に、血に染まったナイフとその隣のスプーンの大写しのショットに続く黒画面に「ああ(OH)」の赤文字と「言語(LANGAGE)」の白文字が出て、続いて輪切りにされた数個のオレンジと流しの排水溝に吸い込まれる水が合成されたショットをはさんで、黒画面に「ああ(AH)」の赤文字と「神よ(DIEUX)」の白文字が出た直後です。

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 オレンジと流しの排水溝の水の合成ショットと、血に染まったナイフのショットは、ゴダールとミエヴィルのヴィデオ短篇『自由と祖国』からの転用です。
 『自由と祖国』は、ヴォー州とフランスの歴史的関係を振り返りながら、ヴォー州出身の作家シャルル=フェルディナン・ラミュ(Charles-Ferdinand Ramuz)の小説『ヴォー州の画家エメ・パシュ(Aimé Pache, peintre vaudois)』(1910)の物語を自由に読み替え、男女二人の語り手の声と動画のコラージュで語ります。
 『ヴォー州の画家エメ・パシュ』は若いエメ・パシュが画家を目指しパリに出た後、祖国に戻るという物語で、それ自体が、ゴダールの生涯の隠喩かもしれません。小説の中でエメ・パシェは展覧会のための大きな絵を依頼されます。
 『自由と祖国』ではオレンジのショットには画面外の女性の語り手の声「そして果物、そして血、国の血、アブラム=ジャン=ダニエル・ダヴェルの血(Et puis des fruits, et puis du sang, celui du pays, celui d'Abraham Jean Daniel Davel)」が重なり、その直後のナイフのショットには、画面外の男の語り手の声「内容と形式、祖国と自由(Fond et forme, patrie et liberté)」が重なります。
   これは、両親を亡くしたエメ・パシュが自己流の油絵を始める時の描写です。まず木が一本描かれた絵の映像に女の声が「まず一本の木(D'abord un arbre)」と言い、その木の横にもう一本の木が描き加えられた絵の映像に「またも一本の木(Et encore un arbre)」という女の声が続いた直後に、オレンジの映像に切り替わります。つまり、その映像はエメ・パシュが描く油絵を暗示しています。
 ジャン=ダニエル=アブラム・ダヴェル(Jean-Daniel-Abraham Davel)は17世紀から18世紀にかけて生きた、ヴォー州の愛国者です。

    『自由と祖国』の参考動画(英語字幕)を貼り付けておきます。オレンジのショットは10分44秒からです。


 Liberté et Patrie - Jean-Luc Godard et Anne-Marie Miéville (2002) - YouTube

 

 『さらば、愛の言葉よ』に戻ると、44分59秒に、それまでとまったく違う全体が白っぽい画調で、航行中のサヴワが捉えられます。船首のフランス国旗もやや白っぽく見え、背景の空は真っ白に見えます。画面左に進む船に合わせてキャメラが追うので、このショットでも船尾は最後まで見えません。
 船外車輪の起こす波と思われるショットに続き、45分28秒、湖畔の大きな木の木陰のカフェテラスの一角の光景が映し出され、露出過剰で見えにくいものの、カフェテラスの上に、スイス国旗がはためているのが見えます。この固定ショットは45分39秒まで続きます。
 このショットに続くのは、「ガス工場」前の小公園で、路上に落ちているマルキュスらしき男の上着の上を通過するメルツィデス・ベンツの高級セダンS320とその手前の木の椅子、その向こうの大きな貯水槽に白いシャツを着たマルキュスらしき男がシャツの背中を血に染めて倒れ込み、そのそばで青い服(『ゴダールを待ちながら』(p.126)によるとゴダールの服)を着たイヴィッチが不安げに見ている光景です。

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  銃声が聞こえるのはシャツの背中を血で染めた男が貯水槽に頭を突っ込んだ直後です。またも威嚇のために発砲したのは、その直前に通過し、画面右に消えた車に乗ったイヴィッチの夫という推測が成り立つかもしれませんが、ここで聞こえる銃声の前に、マルキュスを殺すことになる銃弾が放たれたのかどうかははっきりわかりません。

 『ゴダールを待ちながら』によると、この場面は、2013年6月11日に撮影されました。ブリュノはこう書いています。「その場面はとてつもなく悲しくて、愛の終わり、物語の終わりを示唆する。彼女は自分をすごく愛している、そして《自分の頼みをきいてくれる(à ses ordres)》男を失う(Cette scène est d'une immense tristesse, évoque  la fin de l'amour, la fin de l'histoire. Elle perd l'homme qui l'a tant aimée et qui est « à ses ordres »)」(p.109.) 

 蓮實氏は「泉水の井戸のようなところで男女がばったり倒れるロングショットがある」(p.87)と述べていますが、女は倒れているようには見えません。
 血に染まった貯水槽にマルキュスが頭を沈めたところを上から見下ろすショットが続くので、前に出てきた貯水槽の血のショットはこの場面のものだったことがここで初めてわかります。
 薬指に指輪をしたマルキュスの右手をイヴィッチの右手がつかむと、瀕死のマルキュスは頭を出し、「割けろ、そして早く、砕かれた思い出(évite, et vite, les souvenirs brisés)」と言いますが、イヴィッチの手がマルキュスの手を突き放すと、彼はまた頭を水に沈めます。なぜかマルキュスの反対側から血のような赤い液体が投げ込まれるのも見えます。
 ジョゼットゥがこの映画に登場する直後の10分17秒の枯葉の浮かぶ貯水槽で手を洗うジョゼットゥの両手のショットは、この血に染まった貯水槽に浸かる二つの手のショットと対照をなすものでしょう。
 マルキュスの最期の台詞は、ゴダールの偏愛するルイ・アラゴン(Louis Aragon)が彼のミューズ、エリザ・トゥリオレ(Elsa Triolet)に捧げた詩「エルザ、愛してるよ(Elsa, je t'aime)」の一節のもじりです。

   元の詩の構成はこうです。 

口づけの斜面で

歳月の経つのはあまりに早い

避けろ、避けろ、避けろ

砕かれた思い出

Au biseau des baisers

Les ans passent trop vite
Evite évite évite
Les souvenirs brisés

  血染めの貯水槽のショットに続くのは、抱えた両膝に頭を押し付けるイヴィッチの大写しです。 ダヴィドゥソンと思われる画面外の男の声が「警察が来ます。ここを離れないと、マダム。急いで(La police va venir.  Il faut partir Madame. Et vite)」と言います。イヴィッチはうずくまったまま、タバコを吸ったあと、吐き捨てるように「ことば!(Les mots!)」と言います。タバコの象徴的な意味については「隠喩解義3」で触れます。
 続いて黒画面に彼女の声「ことば!(Les mots!)」が重なり、さらに続く、船から見下ろした波のショットに彼女の「もう、そんな話は聞きたくない(Je ne veux plus en entendre parler)」という台詞が重なります。  

 このあと50分29秒から、イヴィッチが暗い部屋のヴィデオ・モニターでドイツの無声映画メトロポリス(Metropolis)』(1927)の善良で貧困層の人びとに崇拝されている若い娘マリア(Maria)が地下で狙われる場面を見る場面がありますが、出来事の時系列的には、貯水槽の場面に先立つのかもしれません。『メトロポリス』の場面では、不機嫌なイヴィッチは全裸ではなく、逆に服を着ているところです。
 これは、不機嫌なジョゼットゥが服を着ながら、『キリマンジャロの雪(The Snows of Kilimanjaro)』(1952)の映し出されるヴィデオ・モニターに背を向け続けていた場面の反復と思われますが、その場面については「隠喩解義3」で触れることにします。